南京大虐殺は存在せず?---歴史は消しゴムでは消せない

昨日(2004/01/06)の産経新聞に眼を疑うような記事が掲載されていた。「南京大虐殺があったなんて誰がいった?」という記事である。むろん、29歳のわたくしが当時中国は南京で大虐殺の光景を目の当たりにしたわけではもちろんないし、そんなことは出来た話ではない。戦争ではあらゆることが合法化されてしまう。本件に関して記事中で、亜細亜大学教授 東中野修道氏がおっしゃるには「外人さんは大虐殺はあったというけれど、その光景をつぶさに確認し、何人死んだかちゃんと確認もしとらん。写真も撮っておらん。見てないものをあったというのんはおかしい。見てないものは無かったいうことなんや。存在しないということなんよ。」たいした揚げ足とりである。
ご自分がマスコミに洗脳された「哀れな子供」である自覚はあるのか。先生はなお続ける。「武装解除された軍服姿の軍人では駄目だが、軍服を脱ぎ棄てた非捕虜の不法戦闘員を処刑することは合法である。」などと惚けたことをおっしゃられる。そんな屁理屈で、人と人とが殺しあうことが許されてはならないのだ。
北朝鮮から脱北してきた亡命者たちと同じではないか。脱北してきた方々はかつて北朝鮮上層部によって「今の生活が苦しいのはアメリカのせいだ。アメリカを恨め。アメリカは我々の敵だ。」と教え込まれてきたという。また、南に位置する韓国は「我々よりもずっと貧しいので、我々北朝鮮の民によって救われなければならない。」と思い込まされてきたというから、思い込み、刷り込みは恐ろしいものである。ただ、この亡命者たちには正しい世界との、新たな正しい出会いがあるわけだが、この醜いアヒルさんはどうだろう。美しい白鳥に生まれ変われるような幸福な瞬間は訪れ得ないのだろうか。少なくとも、前途有望な若者たちを未来の「醜いままのアヒルの子」にすることだけは避けて頂きたいと心から祈って止まない。

加害と赦し―南京大虐殺と東史郎裁判